« 2009年2月 | トップページ | 2009年4月 »

2009年3月

桜の満開を待つ

090317_10200003 

世中にたえてさくらのなかりせば春

の心はのどけからまし

  古今和歌集   在原業平

世の中に桜などなければ、春の人の

心はのどかだろうものを、と否定の形

で桜の美しさをたたえている。

まことに桜の頃は落ち着かない。開花

はいつにはじまり満開はいつか?

いつまでもつか?

今年は開花宣言のあと寒の戻りで寒い

日が続いたので満開になるまでなか

なか。今年は気をもむ期間が長い。

まあ、ゆっくり桜を待ちましょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

地面に座る

090322_16170002 さくら

昨日の小石川植物園のござの上の

桜見はずーとそのまま座っていたい

ほどのどかな気持ちになっていた。

この頃、地面に座るなんてことない

なあ。登山もやめてしまったし。

ベンチではなく、土の上に座り込むと

言うのはもぐらやありや生き物に近

かずいているということだ。自然体に

なっているということだろう。自然は

心のバランスをたもち、新鮮な気持

ちにしてくれる。もっと自然となかよく

しょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

桜の木の下で

090322_16150001 さくらさく

朝早くから小石川植物園へ吟行に出

かけた。桜は4分咲きといったところ。

桜の下におおきなハイキングシートを

広げてお花見弁当。ここは大学の実

験林場なのでアルコールは禁止。

だから家族ずれが多く、子供たちは

はしゃいで走り回り大人たちはシート

に座り込んで子供たちを目で追って

いる。のどかな風景だ。何年ぶりだろ

うこんなゆったりした幸せな場面に身

を置くのは。

でもいつまでものんびりしていられな

い。このあと俳句を作らなくては。句会

が場所を変えて表参道であるから。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

魔の花かしら?

090322_16160002 さくら

さまざまのこと思いだす 桜かな

              芭蕉

桜を見に行くというのは思い出を作

るために出かけるのじゃないかしら。

その思い出を大事にとっておいて桜

の季節になるとそれぞれの年の桜

と登場した親しかった人たちに想い

を馳せる。

桜の咲いている間って人を落ち着

かせなくし、もの苦しくさせてしまう。

魔の花かしら?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

今まで男性が怖かったの。

090322_16160001

桜の季節は落ち着かない。桜に浮か

れていると言うか。

去年の桜は上野公園の夜桜だった。

その前年は目黒川の桜、その前は

鎌倉。桜とともに思い出がついてくる。

まだ肉体的には負荷がかかるという

年齢ではないけれど、精神的には、年

を重ねてわたしは若い時より自由にな

ってきていると感じている。それにいろ

いろなことがわかってきて自信がつい

てきたみたい。随分おくてだ。

実際、やっと、男の人が怖くなくなって

きた。これは大きな収穫だ。堂々と相

手の目を見て話せるようになった。

先日も「楽しい方ですね。もっといろい

ろ話したい・・・・・」と口説かれちゃった。

ウフフ・・・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

春の雪

090303_22500001 春の雪

朝、伊豆の下田の友から電話。まず

天気をたずねあう。下田と横浜は近

いのに天候が同じでないことがよく

あるから。

今朝もこちらは曇って雨が降りそう

なのに、下田は雲ひとつない晴天だ

と言う。

程なくはらはらと雪が舞い降りるよう

に降ってきた。春の雪だ。

先月京都府の宇治川の上流へいった

ときも春の雪が今朝のこちらの雪と

同じくらいに降っていた。その時の句。

 山に沿う 青き流れや 春の雪

| | コメント (0) | トラックバック (0)

かっての日本人の理想の暮らし方

080915_21460001

大不況にあって私たちは「志」を失っ

てるのではないか?

という見出しの雑誌が目についた。

「清貧の思想」を再び。

「低く暮らし、高く思う」哲学を取り戻せ。

「慳貪にして富裕なるは卑しきこと」。

など、なつかしい言葉だ。今まで物質的

なものに振り回されて浮かれすぎていた

のではないでしょうか。こういう時期に静

かにかっての日本人の理想の暮らし方

に思いを巡らせる時ではないかと思い

ます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

お気に入りの組み合わせ

090222_14440002 春の氷

今週は寒の戻り、冬のコートでは

見た目が重いし春の装いでは寒

いしと気がもめる。でもこの頃は

なんでもOKでいい時代になった。

わたしの場合は好きなデザイナ

ーとめぐり合って、自由自在に着

こなしができるようになった。

原口良子、吉田はつみ、うすいみ

ほさんたち。

彼女たちの展示会には初日に出

かける。初日というのが大切で、

量産しないので殆どが一点もの

なのででそろったときに、一番気

に入ったものを求める。

お陰で、少々古くなった服でも、

お気に入りを組み合わせて着る

ものだから、着るもので気をわず

らわせることは全くなくなった。

うれしい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

寒の戻り

081019_12340002

 夜になって冷え込んできた。

 寒の戻りだ。

女性雑誌も不況で廃刊になっている

おり今日、新しい女性誌GINGERが

た。家の近くの小さな書店にも並

でいたのでパラパラめくってきたが

山田詠美の巻頭の文はとても鮮

で新鮮でパンチが効いていた。

ここだけを切り取って持って帰りた

いほどだったが、あとは女性の服

のページばかり。どこが挑戦する

新しい女性誌なんだろうと思う。

この雑誌は三十代をターゲットにし

ているそうだが一番女性として元

気な世代が着るものにしか興味が

ないとは。でももっと広い世界に目

を開いている女性は、こういう雑誌

は手にしないんでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

苦手を好きに代える方法

080923_14150003

 本のページからパラッと一枚の

メモが落ちた。いつごろのものか?

10年も15年も昔のものだ。

「これは難しいと思われることには、

自分の方から進んでその難しい事

柄の中へ入っていく。そうすると難し

いことがたやすく楽しいことに変貌

する」

 作家の宇野千代の言葉である。

まことにそうだと思う。でも、凡人は

苦手なことはなるべく避けたいとか、

先延ばしにしがちだ。苦手なことをも

好きなことに変えてしまうという宇野

千代流、見習わなくては。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

桜の季節は落ち着かない。

090317_10210001_2 さくら

 今日、こちらでは桜の開花宣言が

あった。1週間後が満開だと言う。

わたしは忙しくこの2週間の予定と桜

を思う。

1週間後の土曜日は朝も昼も外界か

ら遮断された日だ。翌日曜日は吟行

の日、小石川植物園は満開の桜でし

ょう。3日後の赤坂の食事会は赤坂

サカスとミッドタウンのまだ若い桜を

楽しめる。2週間後の近江の古寺行

きは、東京の桜はもう散り始めという

ところでしょうけれど、琵琶湖の南の

山里は満開ではないかしら。

桜の季節は気もそぞろ。落ち着かな

い日々が続きそう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

奥深い俳句を目指して。

090317_10180001 春の蕗

昨日の俳句の続き

すんなりと詠めた単純な俳句は良い句

ではないようだ。

日本語はいくつかの単語しか知らない

外国の人に昨日どんな俳句を作ったか

と聞かれ披露したが、簡単に英訳でき

て説明も必要でない句は、単純すぎて

これがあの俳句か?とあきれているの

が受話器を通して伝わってくる。

句の心の説明をしなければわからない

くらいの奥の深い句を読まなければ。

わたしはまだまだビギナー。がんばり

ましょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

自分の俳句はいとおしい

090317_10200001 いぬふぐり

 今日も春日和。小石川植物園へ吟行

にいく。都心の便利なところにあるのに、

わたしは始めて。同行はベテランの俳人

である友人と。薄紫のおおいぬのふぐり

が咲いていた。

 淡い黄色のみつまたの花の前で句作

かかる。わたしはウンウンうなってい

るばかりで一句も出来ないのに、彼女

は七句もものにしている。この差はいっ

たいなに?

わたしは中学の時俳句の宿題でどんな

にうなってもできなくて、手元の雑誌から

一句ぬきだして提出したと言う思い出し

たくないことまで思い出してしまった。

わたしはやっぱり俳句は向いてないな

あ。どんどん言葉がでてくる人って頭が

いいんだわ、もうやめようかと思いなが

らも今日彼女から学んだことを思い出し

て机に向かうと、すんなり句が浮かんで

きた。何もないところから、言葉を紡ぎだ

すって面白い。今作った一句はどこにも

ない、かけがえのないわたしの句だと思

うといとおしい。きっと稚拙な句でしょうけ

れど。わたしはまだ俳句の上手、下手も

わからないのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

アメリカさんの名句

090317_10170001 東風

 東風、こちと読む。春先に吹く東

からの風をいう。

わたしの名言ノートにこんなすごい

アメリカのがある。

If you are so smart,how

come you are not rich?

(お前がそんなに利口なら、どうして

金儲け出来ないんだい?)

これは、40年ほどまえのアメリカの

お土産品の壁かざりの三角の旗に

あった言葉だ。いかにもかってのア

メリカ的な言葉だ。

日本人はちょっと違いますよ。私た

ちは身の程にあった、程ほどの生

活を楽しむという高度な術を身に

つけている民族です。アメリカさん

の物質至上主義でななく、日本人

は精神的なものに重きをおいてい

ます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

山里の春

090317_10190002 草青む

 関西ではお水取りが済むと暖かく

なると言われているが、関東でも

その頃から暖かくなってくる。

この頃は日脚が伸びて5時ごろでも

まだ日が高い。買い物やなにかの

用事をかねてのウオーキングが多

かったが今日は山間いや尾根へ純粋

なウオーキング。いえ、句会を控えて

空気と景色のいいところを歩けば句

が浮かびそうに思ってノートとペン持

参で出かけた。

自然界はもう春の準備は整っている

よう。これからの山里は素晴らしい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

格言や名セリフ

090222_14410001 余寒

 新聞の記事で気になる文章を見

つけた。

「人は自分が望んだ分だけ、自分が

挑戦した分だけ幸せになれる。」

これはアメリカのスポーツ記事の中

の言葉でとてもアメリカ的な言葉だ。

こんな言葉を聞くと今もかってのア

メリカが健在なんだとうれしくなる。

でもこれはスポーツの世界でのみ

いえる言葉かもしれない。

わたしはこういう格言のような言葉

や偉人の名せりふが好きで、いつも

ノートに書き留めている。そして自分

の人生に置き換えて、わたしはまだ

まだ努力が足りないとか反省してい

る。他の人から見ると他愛のないこ

となんだけれどわたしはおお真面目

なんです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

美しすぎる桜

090315_20060001

 今日は「春の便りを書く一日教室」

で桜を書いた。春は桜。東京の女性

は特に桜がお好き。桜と言う字も好

まれている。

上の「桜」、美しすぎるすごみがでてい

ません?

そこで西行の歌を。

 春風の花を散らすと見る夢は

さめても胸のさわぐなりけり

西行は、一首読みしは、一体の仏像を

作る思いをなし、一句を思い続けては

秘密の真言を唱ふるに同じと言ってい

る。この桜のうたも西行のすごさが歌

われていると思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

吉野は夢の桜かな

080923_14150002_2

いにしえは花といえば、梅

今は花と言えば、桜

わたしの好きな歌に

只のときも 吉野は夢の桜かな

                   西鶴

同じ奈良県でも吉野は遠く、吉野の

桜を毎年見ていたというわけでもな

いのに、わたしの吉野はいつも満開

の桜だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

わたしの吉野

090302_13590001 川柳

 古のさかしき人の遊びけむ 吉野

のかわら みれどあかぬかも

 奈良県っておおざっぱにいって半分

が盆地で、半分が山地だ。吉野は

山地の入り口で、十津川などの秘境

に入り、熊野へ続いている。

さかしき人とは身分の高い人、南朝の

やんごとなき人々のことをさしている。

わたしは吉野を思う時、いつもこの歌

が浮かぶ

20㈹の中ごろ、吉野へ赴任していた

友を尋ねていった土地が、険しい切り

立ったような山に囲まれ、ゆったりと

広いかわらのある川が緩やかにカー

ブして流れている場所だった。

わたしは吉野を思う時、「古の・・・・」の

歌を思い、その広いかわらの川を思い

浮かべてている。

先日の同窓会であったその友に話すと

特に由緒のある所でもなく、おおきな川

でもないという。

でもわたしにとっては、あの風景がわた

しの心の吉野なのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

イメージが変わってしまった人

090302_13580002 麦踏む

 同窓会では、すっかりイメージが

変わってしまった人もじっと見つめ

ているとかっての面影が彷彿として

蘇るときがある。不思議な一瞬だ。

みなさん、年を重ねて宣しき人に

なっている。

 生意気で高慢だったわたしも角が

取れてまるくなったように見えるら

しい。でもそう見せているだけでま

だまだ宣しき人になっていない。

これから毎年、同窓会を開こうと

いうことになった。わたしも遅れば

せながら宣しき人に近ずけたらと

思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

宣しき人

090302_13580001 猫柳

「物みなは新しき良し、ただしくも人

旧(ふ)りにし宣しかるべし」

作者不明として、わたしのスクラップ

ノートにのっていた言葉。

 年齢を重ねると言うことは学んだ

ことも、良い経験も失敗も過ぎ去る

のではなく、重なっていく。美しい景

色や芸術作品を見るということも、

以前に見たものの上に重なってい

く。

だから若き人より長く生きている人

のほうが素晴らしいしということに

なる。

また美を作っていく人は晩年の作

ほど秀れていなければならないと

思う。

 明日、同窓会、どんな宣しき人に

えるか楽しみ。

 明日、あさってお休みさせていた

きます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

寒さはお水取りが終わるまで

090222_14440002 春の氷

 今年は桜の開花も早いと言われて

いるけれども今日一日だけ晴れで明

日からまた天気がぐずつく。いつまで

も真冬のコートを手放せない。

関西ではお水取りが終わるまで寒さ

が続くと言われている。

そのお水取りの時期に奈良で同窓会

がある。猿沢池のほとりの旅館で一

泊する同窓会だ。お泊りの同窓会って

どんなだろう。学生の頃長い休みごと

に三、四人で旅をしたような感じなの

かなあ。夜、お水取りを見に行くかも

知れない。火のこがかかっても大丈

夫なように古いショールを持っていき

ましょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

駆り立てる心

090222_14420001 残雪

 朝起きると、屋根と庭にうっすら

と雪が積もっていた。

20年前の大雪の日、白い雨靴で

新宿を歩き回ったのは、なにかに

心が駆り立てられていたのだ。そ

れは今は若い日の思い出になっ

ている。

この頃また、あの、駆り立てる心

に悩まされている。いつもゆっくり

と慎重派のわたしが、思い立つと

一気にやってしまう。

先日も1年間たまったスクラップを

大学ノートに貼ろうと思いついた。

スチックというきれいに貼れるのり

が見つからず、やまとのりで間に

合わせた。出来上がりはぼこぼこ

していてきれいではない。でも、

いつまでもノートに挟んだ状態より

いいかと思って、ノートを広げては

楽しんでいる。

もうひとつは昨日は雨のち雪で

でしょうと言う天気予報だったのに

1ヶ月ぶりにスポーツジムに行こうと

思い立って出かけた。さすが悪天

候で空いていたが、どうして急に

ジムへ行かなければならなかった

のだろう。これも衝動的で、なにか

に駆り立てられたのだろう。なにが

原因なのかまだわかっていないの

だけれど。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

春の雪

090303_22500001 春の雪

 夜になって雪が降りだした。春の

雪だ。屋根や庭は白く積もっている

けれど、道は濡れているだけ。大雪

にならなくってよかった。明日は出

かける予定があるので。

 わたしは雪景色が大好きなのに、

足元を気にして、ほっとしている。

20年ほど前、東京でも大雪で積も

ったことがあった。わたしはうれしく

て白いレインシューズを履いて用も

ないのに一日歩きまわっていたこ

とがある。

あの頃を思うと年をとったのだなあ

としみじみ思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

無学と有学

090302_13590001 川柳

  無学と有学

 わたしは無学なもので・・・とよく

く言葉だけれど、この無学、マナ

コトナシと言う意味だ。もう充分

んだので学ぶものがないと言う

味だと、新聞のコラムで読んだ

ことがある。

 わたしたちは学ぶこと有りいう

有学といわなければならない。

本来の意味とは逆の意味で使われ

ている例だけれど、こういうことって

なにかのきっかけで、広く知られる

ようにならない限りは、間違った意

味で使われる言葉だろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

夢中と無中

090222_14440001白梅

 3・4日、パソコンの調子が悪くて

休んでしまいました。もう大丈夫で

す。

 夢中と無中。なにかに、むちゅうに

なっている時は心が無心になってい

る時のことなので、「無中」が正しいと

わたしの美術史の教授は申されます。

夢中は当て字ではないかと。

夢心地なのか、無心の境地なのか、

どちらと思われますか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年2月 | トップページ | 2009年4月 »